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「リンダ」のワンフレーズで、星の数ほどのキッズの人生を変えてしまった、罪深きパンクの金字塔。

「リンダ」のワンフレーズで、星の数ほどのキッズの人生を変えてしまった、罪深きパンクの金字塔。

目次

The Blue Hearts/S.T.

1987年作品

収録曲:A面

①未来は僕等の手の中
②終わらない歌
③NO NO NO
④パンク・ロック
⑤街
⑥少年の詩

収録曲:B面

⑦爆弾が落っこちる時
⑧世界のまん中
⑨裸の王様
⑩ダンス・ナンバー
⑪君のため
⑫リンダ・リンダ
ラモーンズそのまんまの、スピード感。
所謂タテノリのリズムで、ザ・シンプル。
ギター・リフとディストーションの鳴り方は、セックス・ピストルズ。
ギター・カッティングは、ドクター・フィールグッドとクラッシュ。
まさに、基本中の基本の王道を行く。
誰もがイメージするパンクの原点に、愚直なまでに忠実です。
しかも全12曲で、トータル・タイムは34分。
①の歌詞の如く「マッハ50で駆け抜ける」、日本のパンク・ロックの金字塔が今作です。
 

※ラモーンズについては、こちらもどうぞ

 
この3要素だと、当時のロッカーやパンクス達なら誰でも思いつきそうなもんだし、実際にそうだったんだけど。
やっぱりブルーハーツが唯一無二で、革命的だったのは「歌」。
言葉の乗せ方は勿論のこと、パンクとしてはある種のタブーをさらっとやってのけたことだったと思う。
それは歌詞における、背伸びして見せる価値観というか、着飾る文化が当たり前の時代だったから。
 
例えば矢沢永吉のキャロルなら、よろしくを「夜露死苦」って変換する、ヤンキー文化のあの感じ。
ファンは改造した単車でライヴ会場に駆けつけて、リーゼントに特攻服で、みたいな。
尾崎豊でいえば、覚えたての煙草を吹かしながら盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎に忍び込んで窓ガラス割ったり。
そういう、不良少年のあるべき姿。
 
今でいうところの、ハラスメントなんて概念も実質なかったわけだし。
親も教師も、大人なんてみんな信じられない。
若者だけの居場所にたむろして夢や恋を語る、あの感じ。
 
一方で洋楽だと、例えばセックス・ピストルズは、自分達の国の女王陛下を揶揄して政治をボロクソに言ったり。
クラッシュだったら、「暴動を起こせ」「ロンドンは退屈で燃え上がってるぜ」って歌ったり。
 
こういう政治的糾弾を含んだ歌詞も、当時バブル経済の真っ只中で平和だった日本では、頭では何となく理解はしても距離があったんだよね。
ごくごく普通の少年少女からすれば、無縁とまでは言わなくても、日常として捉えれなかったっていうか。
関係のないもの、関わらないものとしての乖離感というか。
 
憧れたり、共感したりはあっても、どこかフィクションな世界でもあって。

親に無断で1ヵ月家出とか、学校の先生にお礼参りとか、普通はしないでしょ笑。

そんな安全地帯で普通に生きていた、少年少女達の日常を。
馬鹿でも分かる言葉(詞)とメロディー(曲)で、一変させてしまった。
その詞はあくまで、等身大。
いじめを受けたり、仲間外れにされたり。
友達や恋人がいなくて、ひとりぼっちで寂しいこと。
それを背伸びすることなく、着飾ることなく。
恥ずかしくて誰もが言えなかったことを、そのまま歌にしちゃった。
喧嘩も弱いし女の子にはモテないけど、それでも自分らしく生きていくぜって。
 
だってさ、かっこ悪いじゃん。
自分のコンプレックスやトラウマを、歌詞にするなんて。
今でこそ、よくあるスタイルなのかもしれないけど。
しかもそれをアコギで朗々と告白するように歌い上げる、所謂フォーク・スタイルじゃないから。
エレキがギリギリガガンガン(クロマニヨンズの名曲)の、パンクだからさ。
これが、革命的すぎた。
 

反社会的で、ニヒルでクールで、どこか廃頽的。
それが、それまでの日本のロックやパンクの姿。

そのどれにも当てはまらなかった、新しい存在。
ザ・ブルーハーツ。

ハードなサウンドの奥に、あくまで言葉に重きを置いたしっかりとした歌心があること。
シンプルな4分音符に、ひらがなを1文字ずつ重ねていく。
そして何より、丸裸のかっこ悪さを馬鹿正直にビートに乗っけて曝け出す。
 
現状や社会に疑問符を投げかけながらも、生きることの素晴らしさと未来を肯定していく。
 
ブルースもブリティッシュ・ビートもパブロックもパンクも呑み込んで、「今現在」の感性でもってぶちまけていく。
唯一無二の説得力と、爆発力があったんだよね。

ブルーハーツ結成から、今作誕生まで

ジョン・レノンと、ポール・マッカートニー。
ミック・ジャガーと、キース・リチャーズ。
本人達がどう思ってるのかは、分からないけど。
この世界には、奇跡すらも超えた出会いで成り立っているバンドが現実に存在します。
 

※ビートルズについては、こちらもどうぞ

 
ザ・コーツの甲本ヒロト(Vo、以下ヒロト)と、ブレイカーズの真島昌利(G、以下マーシー)。
東京のモッズ・シーンで活動してた運命の2人が、それぞれのバンドを解散後の1985年にブルーハーツを結成・・って、なんかもう説明不要な気もする笑。
その後、当時マネージャーだった河口純之助(B)が。
そしてブルーハーツのファンだった梶原徹也(Dr)がヒロトへの猛アピールが成功して加入、ここにブルーハーツが誕生します。
 
インディーズ時代から、圧倒的なライヴ・パフォーマンスと。
前述した、「馬鹿でも分かる」ハートを撃ち抜く楽曲で。
それを武器に徐々に動員を増やしていって、1987年に今作でメジャー・デビュー。
 

契約の条件は、自分達の歌詞に絶対に干渉しないこと。
現在でこそ、一見「無意味」な歌詞に全振りするヒロトとマーシーだけど、この条件からもブルーハーツっていうバンドがどんな存在だったのかを示してます。

そしてセルフ・プロデュースにして、セルフ・タイトル作品ってのが自信の表れ。
デビュー前から既に1000人以上の動員数を誇っていたライヴ・バンドとしての実力と熱量を、見事に真空パックしたような仕上がりです。
収録された曲はどれもライヴの定番曲で、書き下ろしは一切なし。
観客の反応から厳選したという手法も、功を奏しました。
 
なので今回は、詞に重点を置いた解説を。
普段なら洋楽がメインだったのであまりこういう機会もなかったけど、邦楽ならではってことで。

楽曲解説

革命的バンド、ブルーハーツの始まりはこれしかない!ってなマーシー作の宣戦布告ナンバー①。

「生きてることが大好きで 意味もなくコーフンしてる
一度に全てをのぞんで マッハ50で駆け抜ける」

シンプルで粗いギターに、ひりつく焦燥感と切実な叫び。
セックス・ピストルズは代表曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン」で、「No future for you!」って歌ったけど。
ブルーハーツは、

「未来は僕等の手の中!」

勿論それは、1980年代後半の日本が、平和で豊かで輝かしい未来を信じれたからじゃない。
マーシー流の未来の解釈、反骨精神こそが希望であるっていうこと。
ブルーハーツの全てが集約された、まさに意味もなくコーフンしてるぜ!

またもマーシーのペンによる、代表曲②。
もはや、時代を超えたロックの標語です。
ザ・アンセム。
 
「馴れ合いは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない」
 
これは、分かるんですよ。
誰だって青春時代に、こんな気持ちに一度はなったこと、あると思います。
ただマーシーが凄いのは、続く次節。
 
「それでも僕は君のこと いつだって思い出すだろう」
 
これは、言えない。
出てこないもん、こんな優しさ。
もういいよ、誤解上等!
過去なんて、捨てたぜ!
ってのが若くて我儘で切羽詰まった感情だし、それが普通。
でもマーシーは自尊心を保ったまま、逆ギレをしない。
当然、媚びもしない。
もう周りに期待なんかしないっていう寂しさはあっても、社会的に弱くて恥ずかしい自分への肯定は、変わらないんだよね。
希望に満ち溢れた、これぞブルーハーツな1曲です。
初めて今作を聴いた時、脳天カチ割られたっていうか。
この①と②ばっかり繰り返し聴いてて、全然③に進めなかった青い思い出。
Aメロのベース・ライン、めちゃくちゃ好きなんだよなー。
 
ちなみに筆者のブルーハーツのベスト3は、「終わらない歌」「手紙」「夜の盗賊団」。
どれも、マーシーのペンです。

③~⑥はヒロト作。

パンクとは、現状に「No」を叩きつけるもの。
 
③「戦闘機が買えるくらいの はした金なら要らない」
 
クラッシュ、直系。
誰でも理解できる、人間ならみんな持ってる生まれたままの道徳観で、政治を斬る。
と思いきや、
 
「どこかの爆弾より 目の前のあなたの方が
ふるえる程大事件さ 僕にとっては」
 
このコントラストが、潔くて深い。
 
 
④「僕パンク・ロックが好きだ あぁ、優しいから好きなんだ」
 

個人的には、この曲が一番の衝撃を受けて。
ロックンロールやパンクを聴き始めて、かっこいいなって理解してきて。
それでも最後の1%くらいの、なんかモヤモヤ言語化できないような部分に対して。
1発で答えを出してくれたっていうか、眼から鱗が落ちたというか。
この一節は、当時において相当に勇気の要る詩だったと思う。
旧来のパンクス達からは、反感を買ったんじゃないかな。
短くシンプルな言葉で本質を射抜く名言製造機、ヒロトの真骨頂な1曲です。

 

⑤「いつか会えるよ 同じ気持ちで爆発しそうな仲間と」

子供の頃の渾名は、「ボケ作」。
他者とのコミュニケーションが苦手だったヒロトは上京したての頃、友達が出来なくて新宿や原宿を出会いを求めて歩き回っていたとか。
マーシーとの運命的な出会いが、この曲を生んだのかもしれないね。
 
 

⑥「そしてナイフを持って立ってた」

ナイフって言葉が詞に登場する時、どうしてもバイオレンスなニュアンスになるよね。
少なくとも、それまでの日本のロックではそうだった。
アウトローや、反抗の象徴として。
でもここで歌われているナイフ、それまでには無かった表現だと思ってて。
ナイーヴで、内向的でピュア。
たとえそれが暴力でも、ある種の一歩踏み出す勇気がない、モヤモヤした息苦しさの象徴。
実際に、
 
「僕やっぱり勇気が足りない I Love Youが言えない」
 
ってあるし。
それこそ「AKIRA」に出てくるような、健康優良不良少年が持つバイタリティ。
素直に、開放的に力を行使して楽しんで突き進んでいくんだ、みたいな。
だからこそ、最後の
 
「いろんな事が思い通りになったらいいのになぁ」
 
のフレーズで、重い現実を回収する。
 
「どうにもならない事なんて どうにでもなっていい事」
 
至言、哲学です。

代名詞という概念すらも超えた、「リンダ・リンダ」

⑫「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」

ヒロト作のこの曲は、もうね。
サビとリズム、聴いたことない日本人なんて居ないんじゃないかな。

個人的に、この代表曲でいつも思い出すのは。
1987年にブルーハーツが初めて、全国ネットの歌番組に出演した時のエピソード。
これ、現在はYouTubeに無いんだよね。
以前はあって、酒を呑みながら何度も見てました。

1987年と言えば、バブル経済ど真ん中。
一見すると煌びやかで華やかで、札束が飛び交って大量に消費されていく享楽的な時代。
その一方で経済格差や所得格差、校内暴力やいじめ問題は広がるばかり。
それでも若者を中心に、そんな現実や裏側とは正反対の夢のある世界、着飾る文化がトレンドだったわけで。
文字通りトレンディ・ドラマに倣って、ブランド品を身に着ける。

当然、テレビ番組の空気っていうか、風潮もそうなるよね。
誰が悪い、とかではなくてさ。
ブルーハーツが初めてテレビに出た時は、そんな時代。

出番が来て紹介されたヒロトは、「どうも、フミヤです(チェッカーズの藤井フミヤ)」といきなりおどける。
テレビには出ない筈じゃなかった?と問われると、「あと6年は出られんつもりです」。
と答えた後、「そう言えば、盛り上がるじゃろう」とニコニコと悪びれない。
インディーズについて訊かれると、「インド人のことは、よう分かりません」。
初のテレビ出演だから両親にメッセージを促されると、「ニューヨークのお父さんとお母さんへ」と手を振る。

司会者は、なまった岡山弁でのらりくらりと話すヒロトをなんとか軌道修正しようとするけど。
なんたって、生放送だし。
でも悉く肩透かしを食らったから、最後の一手で弄り始めちゃう。
これは、テレビとしては当然のこと。
所謂、プロとして業界のノリに徹しただけ。

煌びやかな衣装を纏った人しかいない、他の出演者から浮くように。
薄汚い革ジャンに、ボロボロのジーンズ。
そして、坊主頭。
ロッカーといえば、長髪こそが当たり前だった。

笑う側と、笑われる側。
社会通念と、自由人。
作られた世界の芸能人と、等身大のパンクス。

そして、「リンダ・リンダ」のイントロをマーシーが弾き始める。
「一生懸命、演ります」と、呟くヒロト。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には”テレビにも”写らない美しさがあるから」

マイルス・デイビスを尊敬して、ジャズ好きで知られるタモリ曰く、「歌詞がジャズ」。

そんな「リンダ・リンダ」で歌われる、美しさってなんだろう。
それはきっと、「生命」。
ドブネズミの生命の美しさ、だと思う。

それを称えるように、眼をひん剥いて、ベロを何度も剥き出して、ハイジャンプを繰り返しながら。
がなるように、歌う。
生命力そのままに、躍動しまくる。
パンク・ロックが大好きで、常にロックンロールを全身で浴びるから、そうなっただけなんだけどさ。
 
初めて映像でヒロトを見た時、衝撃なんかじゃ収まらない、トラウマに近いような感情になったって人、いるんじゃないかな。
胸が、ざわついたというか。
テレビに出ちゃ、いけない人。
でも直ぐに理解する、真っ直ぐだからなんだって。
 
言葉が、あれですけど。
「ボケ作」という渾名からも分かるように、おそらく自閉症というか、ある種の障害を抱えていたような。
感受性が豊かで天才型の10代だったヒロトにとって、ロックンロールやパンクといった音楽こそが、唯一の生命線だったんだと思う。
世の中や社会に出ていける、唯一の方法っていうか。
それは、キャリアを通じて一貫しているヒロトの発言からも分かる。
 
「ロックンロールは、自分の存在を許してくれる物だと思う」
 
これってさ、「生きていくことは辛いこと」っていう前提があるんだよね。
孤独が怖くて、別に不幸ではないのに漠然とした不安があって、常にこの世界に違和感や疎外感を感じている。
でもロックンロールに出会って、あ、俺は生きて良いんだって。
ぼんやりと抱えていた、言葉に出来ないいろんな苦しいことから解放された瞬間っていうか。
 

一般的には、人間よりも汚くて、劣っていて、嫌われている物。
そんなドブネズミも人間も、大して変わらないだろう。
同じようなもんだろう、だって生きてるんだから。

ヒロトだけが辿り着けた、ヒロトだからこそ書けた「リンダ・リンダ」は、これが革命だったんだよね。
既成概念の全てを、この1曲で引っ繰り返しちゃった。
更には詩だけじゃなくてさ、メロディとリズムも凄すぎでしょ。
サビの、♬リンダリンダ~。
この武骨なまでの無意味さで、夢中になって踊らない奴なんていないし。
しかも呪文みたいに、ひたすら繰り返すギミックのシンプルさ。
快感と爽快、興奮以外の何でもないもん。

リンダのワンフレーズで、数え切れないキッズの人生を変えてしまった。
ロック史に刻まれた、永遠の生命が迸る1曲です。

余談

使用楽器

ギブソン・レスポール・ジュニア・TVイエロー

ブルーハーツ時代のマーシーのメインは、これとレスポール・スタンダード。
上記の動画でも、確認できます。
 
ブルースやパンク、パブロックは勿論だけど。
ロック・ギタリストのご多聞に洩れず、キース・リチャーズの影響が色濃いマーシー。
キースのギターの特徴は、誤解を怖れずに大袈裟に言えば、とにかく弾かないこと笑。
あくまで言い方としてだけどね、実際は弾いてるわけだし。
 
※ローリング・ストーンズについては、こちらもどうぞ
 
 
ローリング・ストーンズは、歴代ずーっとツイン・ギターだから可能な部分もあるわけなんだけどさ。
それでも、本来ならガシガシと弾いてナンボのエレキ・ギターを、キースはとにかく弾かない。
すっぱ抜いていく。
そして一瞬を絶対に逃さずに、ケンシロウの如く秘孔を突いて(弾いて)瞬殺していく。
 
一見(一聴)すると何でこんな矛盾というか、基本的なギターの概念や理論が破綻したようなことが出来るかっていうと。
それはシンプルに、ギター・フレーズが天才的だから。
それさえあれば、あとは余計で余分な贅肉そのもの。
 
マーシーの最大の魅力は、ソングライティングの天才さもあるけど。
この一瞬を逃さずに切り込むギター・センスが、とにかく突出してます。
これはブルーハーツ解散後のハイロウズ、現在のクロマニヨンズで境地と呼べるとこまで達しちゃってるよね

最後に

今でいう、「イケてない」少年少女に夢を与えたっていうか。
数え切れないほどの有名人も、影響を公言しまくりだし。
イチローがメジャーリーグ1年目の時に、毎日車の中で今作を聴いてたってエピソードも、有名だよね。
なのにヒロト曰く、「僕は、最も過大評価されてる人」。
ずるいなぁ、かっこいいな。
こういう人なんだよなぁ。

ヒロトとマーシーが書く歌は(特にヒロト)、童謡に近いような親しみやすさがあって。
一度聴いたら忘れられない、一度聴いただけで直ぐに口遊める。
鼻歌がしっくりくるような、そんな分かりやすさがあるんだよね。
クロマニヨンズになった現在でも、全く変わってないし衰え知らずだけど。
そこに4分音符で乗せるシンプルな言葉遣いという型は、元祖メロコアでもあって。
しかも詞が、とにかく純粋で深くて糾弾的でもあるわけでしょ。
星の数ほど現れては消えて行った、ブルースもロックンロールも通らずに、ただ単音の譜割に相田みつをの詩を乗っけたようなメロコア・バンドとは、天地の差。
 
今作がきっかけでパンクを知った人は、たくさん居たと思うけど。
それはブルーハーツのサウンドの向こうに、先人達への確かな解釈とリスペクトがあったから。
同時にパンクのスタイルを一変させちゃったから、当時は「優しさパンク」とか「お子様向け」だなんて批判もあったけど、もう昔の話。
その後の快進撃と現在に至るまでの評価を見れば、一目瞭然。
ドラマや映画、CMに今も使用されてるし。
 
「リンダ・リンダ現象」は、色褪せることなくきっとこれからも続いていく。
「終わらない歌」は絶対に終わらない、罪深いジャパニーズ・パンクの金字塔です。

今回も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
それではまた、次の名盤・名曲で。

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