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世界一有名なバナナは、夢見るメロディーで始まり全てを破壊するノイズで終わる。

目次

The Velvet Underground/The Velvet Underground & Nico

1967年作品

収録曲:A面

①Sunday Morning(日曜の朝)
②I’m Waiting for the Man(僕は待ち人)
③Femme Fatale(宿命の女)
④Venus in Furs(毛皮のヴィーナス)
⑤Run Run Run
⑥All Tomorrow’s Parties

収録曲:B面

⑦Heroin
⑧There She Goes Again(もう一度彼女が行くところ)
⑨I’ll Be Your Mirror(ユア・ミラー)
⑩The Black Angel’s Death Song(黒い天使の死の歌)
⑪European Son

前回のブログで、次回は「メイン・ストリートのならず者」について書きますって言ったんだけどね。
すいません、それはまた次回ってことで。
「スティッキー・フィンガーズ」のジャケでアンディ・ウォーホルに少し触れたんだけど、その晩に今作を久しぶりに聴いたら書きたくなっちゃいまして。
ジャケ繋がりってことで、ご了承ください。

世界一有名な、バナナ・ジャケ。
ロックやアートにそんなに関心がない人でも、一度は見たことがあるんじゃないかな。
チラッと見たことある程度でも、不思議と印象に残るデザインだしね。
天才ミュージシャンと呼ばれる人は、それこそバッハとかモーツァルトに始まって音楽史上何人もいるけれど。
この人も、間違いなく天才。
ルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下、ヴェルヴェッツ)が1967年に発表した、記念すべきデビュー・アルバムです。
 
ヴェルヴェッツはその短い活動の中で、(事実上)4枚のスタジオ・アルバムを発表。
その4作品も、解散後に続々と発掘されたライヴ・アルバムも全て名盤です。
なんだけど、スタジオ作品の中から今作をフェイヴァリットに挙げる人はあんまりいないかも。
というのもさ、なんかセンスの分かれ目的なさ。
ジャケが余りにも有名すぎて、好きなんだけどこれを挙げちゃうとダサい、みたいな共通認識がある気がする笑。
勿論、すんげー名盤なんだよ?
でも、他を挙げたいみたいなさ笑。
実際、筆者は3rdアルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」が一番好き。
ヴェルヴェッツも、2nd、3rd、4thと順にいつか書きたいな。
 
そんな今作は、今なお強烈な影響力を誇る衝撃の1枚。
ステッカーになっているバナナをゆっくりと剥がしてから、見ていこうぜ。

ヴェルヴェッツ結成から、今作誕生まで

1960年代半ば、アメリカの音楽シーンは急速に進化し、多様な音楽スタイルが混在する変革期でした。
例えば、プロテストソングやフォークの旗手として若くしてスターになったボブ・ディラン(以下、ディラン)が、アコースティックからエレクトリック・サウンドに移行していったのもこの時期。
ロック史に残る、「裏切者!」のあれですね。
そして音楽だけじゃなく、数々のカルチャー・ムーブメント発祥の中心地は、ニューヨークだったわけで。
ヴェルヴェッツは、ここで誕生します。
21世紀だと、ザ・ストロークスなんかもそうだもんね。
 
ニューヨーク生まれのルー・リード(ボーカル、ギター)は大学卒業後、ウェールズ出身で現代音楽を学ぶために渡米してきた、ジョン・ケイル(ベース、ヴィオラ)と出会います。
あくまで便宜上でのカテゴライズとして、ルー・リードは文学を愛する詩人タイプで、フォークやポップが好き。
ジョン・ケイルは、クラシックを土台に電子音楽やミニマル・ミュージックといった、前衛的な現代音楽を得意としてました。
なんたってね、ロック・バンドにヴィオラを弾くメンバーがいるって、前代未聞だもんね。

ヴェルヴェッツの核ともいえる、この2人を中心にバンドを結成。
そしてスターリング・モリソン(ギター)と、紅一点のモーリン・タッカー(ドラムス)が加わりヴェルヴェッツが誕生します。

ところで、偉大なロック・バンドに偉大なドラマーあり、というのはもはや真理。
ストーンズにはチャーリーがいるし、バカスカドラムでいうところのスーパーテクニックを兼ね備えちゃったドラマーは、やっぱりZEPのボンゾ。
並んでザ・フーには、ムーニー。

それと比べると技術的には劣っちゃうんだけど、モーリンのドラム、めちゃくちゃ好き。
削ぎ落しまくりのドラムセット(シンバルとかほぼなし)で、スティックじゃなくてマレット(棒先を布で包んだもの)で叩く。
余計なテクニックなんて不要、でもミニマルで丁寧でプリミティブでグラマラスなドラミング。
ほんとにね、もうめちゃくちゃ好き。
1966年、ポップ・アートの旗手として名声と権力を手にしていたウォーホルは、ニューヨークのヒップなクラブにたむろしてたルー・リード達に目を付ける。
芸術家として、次はロックで世界を驚かせてやろうってな感じだったんだろうね。
ウォーホルは音楽だけじゃなく、ダンスやフィルム、今でいうところのプロジェクションマッピングみたいな照明装置を織り交ぜた、マルチメディア・イベントを構想していた。
その名も、「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」。
プラスティックの爆発は、避けられない。
怖っ。
なんか、怖っ。
 
そこで白羽の矢が立ったのが、ヴェルヴェッツだったわけ。
このイベントでのライヴは、大熱狂で大成功。
手応えを感じたウォーホルは、自分のスタジオに出入りしていたドイツ人モデルのニコをあてがって、後に世界一有名になるバナナ・ジャケをヴェルヴェッツに授けます。
ジャケにもね、でかでかと思いっきりウォーホルのサイン入ってるし笑。

当時最も活動的で扇動的だったカリスマ・アーティストが、プロデューサーとなってお膳立てされたヴェルヴェッツは、そのままセンセーショナルにシングル⑥でデビュー。
ルー・リードのヴォーカルではなくて、③⑥⑨とニコのヴォーカルが多いのも、そのため。
ウォーホルの条件や意向に沿って行くことに、ルー・リードは不満だったらしいけど。
デビューと引き換えに、ってのはどこの業界にもよくある話。

こうして、今作の制作が始まったわけです。

楽曲解説

早速だけど、やっぱ歌詞だよね。
それまでの音楽には無かった、タブーを題材にした歌詞。
ルー・リードの、革命的歌詞。
ロックンロールに、表現力の深淵をもたらした歌詞。

②の邦題は、「僕は待ち人」。
なら、26ドルを握りしめたまま、裏通りで何を待っているのか?
それは、ヘロインの売人。

女の性(さが)を無機質に語る③、倒錯のセックスを④で歌えば、その名の通り注射針が刺さっていく様子を綴る⑦。
シンデレラを小馬鹿にするような、悲劇は喜劇とも読み取れる⑥。
SMと同性愛を匂わせる⑩。

それを、これまたルー・リードが生み出すシンプルなコード進行と、ジリジリとした渇望感と諦めに似たニヒルなビートに乗せて。
ロック畑ではないジョン・ケイルにしか作れない、ノイジーでドラッギーなサウンドが炸裂していく。

①も初めて聴いた時、あれ?なんか思ってたのと違うってなったもんね。
キャッチーで、キラキラしてんじゃんって。
ドリーミー・ポップじゃんって。
それもその筈、あまりにアヴァンギャルドな楽曲しか持ってなかったヴェルヴェッツにレコード会社が難色を示して、売れそうなポップなやつを書け!って言われて。
ルー・リードとジョン・ケイルが、急遽作ったのがこれ。
なんだよ、やれば出来んじゃん。
そらそうか、天才なんだから。
相変わらず、歌詞が怖いけど笑。

個人的に今作のハイライトなのが、フォーキーな⑨。
なんだろうね、このガラスのセンチメンタリズムは。
心が洗われるを通り越して、もはや抉られます。
⑥もそうだけど、鋼鉄の仮面を決して外さないルー・リードから、ぽろりと漏れたような一面がとにかく美しい。
ここではニコがヴォーカルだけど、後に発売されるライヴ盤で聴けるルー・リードがヴォーカルを取ったテイクは、至極の一言です。

そして最後は、⑪。
なんかね、一編の物語みたい。
①から始まって、ニューヨークに暮らす人間模様、人間の本質が次々と歌われていって、フィードバック・ノイズにその身をズブズブと沈めていく幕引き。
無に、還っていく。
退廃と倒錯に彩られた物語は、再び地下世界へ潜っていく。

夢見るメロディーで始まって、全てを破壊するノイズで終わるんだよ。

影響と遺産

ロックンロール、フリージャズ、ドゥーワップ、フォーク、現代音楽からポエトリーリーディングまで。
猥雑なニューヨークのストリートで躍動する様々な表現手段が、ルー・リードという天才の中でスパークしてひとつになった異形の塊。
暴力的なフィードバック・ノイズ、相反しながらも同居する美しいメロディー、そして世の中に背を向けた虚無性を帯びたクールネス。

もしも今作がなかったら、今俺達が聴いてるロックの姿は、全く違う物になってたんじゃないかな。
グラム・ロックもニューウェイヴも、生まれなかったんじゃないかな。
パンクやグランジのノイズと破壊衝動も、ポスト・ロックやテクノの反復のミニマリズムも。
青い炎に直接指をくべるような、この後の所謂「オルタナティヴ」って定義される音楽の誕生へ、直接的に影響を与えた全てがここに在ります。
ヴェルヴェッツこそがその源流であることは、間違いないと思います。
 
なんだけれど、当時は全く売れなかった。
信じられないくらい売れなかったそうで、セールス面ではヴェルヴェッツは今後も不振が続いていく。
このプレッシャーにルー・リードは最後までストレスを抱え続けて、逃げるようにバンドを脱退。
評価ってね、何なんだろうね。
今でこそ大名盤って言われてるけど、分からないもんだよね。
それでも影響は当時から凄まじく、デヴィッド・ボウイやザ・ストゥージズ、ドアーズとみーんな脳髄に電撃が走った。
後の世代だとパティ・スミス、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、ソニック・ユース、マイケル・スタイプまで。
ニルヴァーナも、カヴァーしてるし。
 
ブライアン・イーノは、「このアルバムを買った全ての人がバンドを始めた」とまで言ってます。
例えばさ、ラーメンって嫌いな人ほぼほぼ居ないけど、これほど好みの分かれるメニューってないじゃない。
あっさりが好き、濃厚豚骨が好き、魚介系が好き。
1時間待ちの行列の出来る店だろうが、レビューの高い店だろうが、自分に合わない物は合わない。
食べたことある人が、全員美味しかったって言うラーメンなんて、ないんじゃないかな。
でもね、今作はそうじゃないのよ。
聴いた人全員が、バンドを始めたのよ。
その数は、そこまで大きくはないけれど。
 
「売れてるものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンになっちゃうよ」。
甲本ヒロトの言葉です。
誰にでも分かる言葉で、誰にでも分かる例えで。
何かを語らせたらこの人の右に出る人、居ないなぁ。

余談

使用楽器

・エピフォン・リビエラ

この時期から使用し、後年のソロ時代でも相棒だったギター。
ソロ・キャリアにおける大名盤、「トランスフォーマー」(1972年作品)のジャケでも確認できます。
ルー・リードの特徴的なギタープレイであるカッティングとフィードバックは、セミアコタイプのギターだからこそ弾きやすかったのかも。
グレッチ・カントリー・ジェントルマンも弾いてるしね。
シンプルなコード進行でのソングライティング、クリーンと歪みを使い分けたサウンド・アプローチはこうして生まれたわけです。

他にも、フェンダー・テレキャスターやES-335を使用。

最後に

歌詞、サウンド共に大胆にタブーを打ち破ったヴェルヴェッツは、前述したように最期まで商業的には不遇のまま終わります。
ポップ・アートの寵児アンディ・ウォーホルの指揮のもと、ありとあらゆる人体実験を行ったスタジオ「ファクトリー」の実践主義の結果で、同時に犠牲者ともいえるのかな。
人間は、どこまで行けるのか。
っていう誰もが限界を目指してぶっ飛んでいくことが当たり前だった、そんな時代だった1960年代末のニューヨークの、光と闇。
それを誰よりも間近で観察したヴェルヴェッツを超えるバンド。
そしてルー・リードを超えるロックンローラーは、その後も現れてません。

ここまで劇的な深化を生み出したロックンローラーって、実は数えるほどしか居ないって思ってて。
ジョン・レノン、ディラン、デヴィッド・ボウイくらいじゃない?
ジョンもボウイもルー・リードも、みんなディランから影響受けてるから、単純にディランが一番凄いのかもしれないけどさ笑。

でもね、ルー・リードは他の3人とは明らかに違ってたもんね。

ディランは、恥ずかしさ(≒シャイさ)と面倒くささから、常にロックと距離を置こうとしてた。
ジョンは原点回帰っていうか、節目々々でロックンロールに意識的に立ち返ろうとした。
ボウイは、ロックとアートを常に知的にコントロールした。

一方のルー・リードは、刺激的で露悪的。
なんだけど、なんか醒めてるんだよね。
ずーっと、醒めてる。
他者の理解を拒絶して、共感を打ち砕くことに、徹底的。
スキャンダラスでハードボイルドな歌詞、稚拙に言うと誰よりもエグイ表現なのに、その感情の起伏の無い冷徹なヴォーカルもあって、演歌でいうところのこぶしがないっていうかさ。
だからロックンロールを深化はさせたけど、その先にはなーんにもなかった。
荒々寒々とした、更地しかなかった。
容赦なく暴かれた人間の闇っていう入口で出会うものは、エクスタシーに満ちた荒野のロックンロール。
禁断は、極上。
それがヴェルヴェッツにとっての、ルー・リードにとってのロックンロールだったんじゃないかなって思います。

今回も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
それではまた、次の名盤・名曲で。

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この記事を書いた人
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