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サイコ・キラー(猟奇的殺人者)。それは神経質な反逆者であり、現実を観察する顕微鏡。

サイコ・キラー(猟奇的殺人者)。それは神経質な反逆者であり、現実を観察する顕微鏡。

目次

Talking Heads/Talking Heads:77(サイコ・キラー’77)

1977年作品

パンク好きってのもあって、最近のブログはそればっかりになっちゃってますね。
パンクといえば、ニューヨーク・パンクとロンドン・パンクがあって。

その始まりは、ニューヨークならストゥージズやMC5に代表されるガレージ・ロック。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの、前衛的なフィードバック・ノイズと世界観。
そこからニューヨーク・ドールズが現れて、ラモーンズがあのタテノリを大発明して・・て感じでしょ。

一方でロンドンは、ローリンズ・ストーンズやThe WhoのR&Bを下敷きにしながら、ドクター・フィールグッドのパブ・ロックが発火点になって。

セックス・ピストルズやクラッシュ、ジャムやダムドが一気に出現した。

※ドクター・フィールグッドについては、こちらもどうぞ

 

大まかに言えば、こんな感じ。
面白いのは、同じパンクでありながら、ニューヨークとロンドンは全く別物だっていうこと。
そんなの、当たり前じゃんって話ではあるけど笑。
ニューヨークの混沌としながらもどこか妖しくて退廃的な空気を醸す街並みが、パンクス達にとっては自由でインスピレーションに満ちた土壌だった。
それが、プリミティヴでDIY精神に満ちた、新しいロックの模索と在り方の受け皿になっていく。

ロンドンは、とにかく馬鹿単純で明確な、階級社会への怒り。
政治的反抗を核に据えた、挑発と破壊衝動をそのまま粗削りに直情的にサウンドに乗せていく
 
そんな中で、パンク・バンドとしては異質な存在感を放ったのが、トーキング・ヘッズでした。

トーキング・ヘッズ結成から、今作誕生まで

1970年代中期、ニューヨーク。
貧困と犯罪、老朽化したインフラといった都市的病巣の一方で、創造性が臨界点に達しようとしてました。
ロック史において、この時期のニューヨークが果たした役割は本当に大きいと思う。
それこそヴェルヴェット・アンダーグラウンドから始まって、ニューヨーク・ドールズの誕生もあったし。

※ニューヨーク・ドールズについては、こちらもどうぞ


CBGBという小さなクラブを中心に、ラモーンズ、パティ・スミス、テレヴィジョンといったパンク/ニューウェイヴの先駆者たちが登場し、商業主義化したロックへの反旗を翻します。

その中でも、異彩を放っていたのがトーキング・ヘッズ。

ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)で出会ったデヴィッド・バーン(Vo、以下バーン)、クリス・フランツ(Dr、以下クリス)、ティナ・ウェイマス(Ba、以下ティナ)の3人で結成され、当初はアート・スクールの延長のようなコンセプトを内包していました。
パンクとアートが交錯する街、ニューヨークならでは。
後にライヴハウスの聖地と呼ばれるようになるCBGBでの定期出演を勝ち取り、その奇妙で鋭角的なサウンドと、バーンの不安定なボーカル・スタイルは直ぐに注目を集めます。
観客の多くは困惑しつつも、トーキング・ヘッズの音楽にはどこか逃れがたい魅力があったわけで。

当時の他のパンク・バンドと比較してもよりミニマルかつ知的で、しかもリズムの肝にあるものが一線を画してました。
それはアフロやラテンの第三世界的リズムを大胆に取り入れた、「神経質なファンク」。
この傾向は、次作から更に明確化していきます。
なので個人的には、トーキング・ヘッズがパンクに分類されるのは、この1stまでかなと。
あくまで、音楽ジャンルの話だけど。
なんかこの感じ、ポリスに似てるなぁ。

そしてジェリー・ハリスン(G、Key)が加入して4人編成になったバンドは、サイアー・レコードと契約。
1977年に発表した、今作でデビューします。

その瞬間から「ただのパンクではない何か」を提示して、時代の空気に鋭く切り込む、新たなアート・ロックの始まりを告げる作品となったのでした。

収録曲:A面

①Uh-Oh,Love Comes To Town
②New Feeling
③Tentative Decisions
④Happy Day
⑤Who Is It?
⑥No Compassion

収録曲:B面

⑦The Book I Read(この本について)
⑧Don’t Worry About The Governmennt(心配無用のガヴァメント)
⑨First Week/Last Week…Carefree
⑩Psycho Killer
⑪Pulled Up

バーンという猟奇的な知性と、ミニマルなリズム隊

今作は11曲で構成、その全ての作詞・作曲を手掛けたのはバーン。
全体を通じて都市生活の不安、自己疎外、社会への違和感といった主題が通底しています。
バーンの詩は、感情の直接的な吐露というよりは、精神的な過敏さと理知的な冷笑を同時に孕んでるんだよね。
それが奇妙なギターのカッティングと、断片的なリズム構造に絶妙に組み合わさる。

それから、ティナのベースライン。
これがとにかく耳に残る、ロック史初の偉大な女性ベーシスト。
曲に独特の「歩くような推進力」を与えるようなラインが、たまらないぜ。
実際、足踏みしながらベースを弾くパフォーマンスも有名だし。

クリスのドラムはパンクにありがちなラフさもありながら、ディスコやファンクの構造に近い堅実さがバッチリ嵌まってます。
このリズム隊、さすがはおしどり夫婦(!)です。

この唯一無二の一体感は、肥大化した主流ロックが抱えた自己陶酔、様式化への批判を内包しながらも。
最小限のアンサンブルで、社会や自己への批判精神を展開していく。
このDIYな精神性が鋭利なナイフとなって、当時のパンク・ムーヴメントと呼応したのでした。

ラモーンズのように速くもなければ、セックス・ピストルズのように爆音でもないけれど。
それでも今作がパンクに分類されるのは、音のスタイルではなく、知性とアートでもってパンクを示したアティチュード。
また、バーンの神経症的なボーカルと歪んだギターは、音楽そのものに「異物感」を付加し、聴き手の感覚をこれでもかと逆撫でする。
この挑発的な感性もまた、パンクそのものでした。

ラモーンズやピストルズが聴き手に衝動的な雷を落とすのは、肉体。
対してトーキング・ヘッズは、衝撃的な電流を脳味噌に流す感じ。

音の「暴力性」ではなくて、思考の「反逆性」においてパンクだったんだよね。

※ラモーンズについては、こちらもどうぞ

楽曲解説

ここでは、個人的に好き過ぎる3曲を取り上げたいと思います。

まずは、⑧。
バーンが持つ皮肉と都市批評のセンスが、見事に結晶化してます。
なんか、イントロとギター・リフが既に小馬鹿にしてるじゃん笑。
でも中毒性が抜群で、頭から離れない。
表面的には穏やかでポップ、明るいメロディなんだけど。
その裏では、都市インフラ、公共機関、現代社会そのものへの冷笑がジワジワ忍び寄る感じも、ポップなのに聴いてて段々怖くなってくる。
あれ?聴けば聴くほど不気味じゃない?みたいなさ。

冷静でシニカルな距離を取った語り口は、従来のパンクとは一線を画すアプローチだけど、まさにこれこそが彼らの革新性を物語っています。
後続のオルタナティヴやポスト・パンク勢に、決定的な影響を与えた1曲です。

続いては、アルバムのラストを飾る⑪。

ニューヨーク・ドールズを思わせるシンプルなロックで、ラストに相応しい解放感がたまらない。
アルバム全体に充満していた緊張と違和感が、ついに爆発するこの感触ですよ。
コミカルでどこか不安定なメロディは、バーンの十八番だけど。
ビートは躍動感にあふれて、カタルシスなサビではまるで自らの殻を破るように炸裂するボーカルにサブイボがゾクゾク。
限界ギリギリまで張り詰めて、感情の臨界点を突破してるよね。
ファンからも人気が高く、勿論ライヴでも定番曲です。

そして最後は、やっぱりこれ⑩。
代表曲にして、ニューウェイヴの金字塔です。

サイコ・キラー(猟奇的殺人者)の視点で語られる歌詞と、不穏でしかないイントロのベースとシンプルに刻まれるドラム。
接着剤のようにその狭間で鳴る、金属音のカッティング・ギター。
全てが完璧に合わさって、強烈な緊張感を生み出してます。

嗚咽みたいに叫んだかと思えば、フランス語の(「Qu’est-ce que c’est?」)を挟んだり。
凡人の筆者には、脳味噌がかき回されて意味が分からん。
あとは、展開ね。
中盤で違う曲みたいになって、加速して爆発して終わる。
ジャンルという壁を越えまくった独創性は、ソニック・ユース、ベック、レディオヘッド、ストロークスにまで影響が及んでます。
ロック史の中でも屈指の「変質者ソング」として、一度聴いたら忘れられないこと間違いなし!

余談

使用楽器

フェンダー・ムスタング・ベース

今作の時期、そして現在に至る長いキャリアの中でティナが愛用したベースがこちら。
「キャンディアップル・レッド」って言うらしいよ。
センス抜群、とってもオシャレ。

ムスタングはフルスケールのジャズ・ベースやプレシジョン・ベースに比べて短いし、軽量で扱いやすいから、女性にも適しています。
ティナ自身も、プレイヤビリティの高さとフィンガースタイルに合ったタッチ感を好んで使用していました。

ソニック・ユースのキム・ゴードンにも影響を与えたように、ロック史における女性ベーシストのパイオニア。
ステージで目を引くキャンディアップル・レッドのカラーリングは、彼女のクールなパフォーマンスに華やかさを加える視覚的アクセントにもなりました。
バーンの神経質な佇まいと、彼女の鮮やかなルックスのコントラストは、バンドのビジュアル面にも一役買ってたと思う。

決して派手ではないけれど、一音一音にある独特の「間」と「しなり」。
呼吸するようにバンドを支えながら揺らすというプレイは、楽曲のトーンを形作ってしまうような強烈な存在感を示しています。
⑩なんか、特にそうだし。
でも決して出しゃばり過ぎず、あくまで骨組みに静かに徹する。
それでいながら全体の設計においてもっとも信頼できる柱になってるところが、クールで大好き。

単なる紅一点としてではなくて、音楽的な必然性を持って中枢に存在していたティナは、本当に偉大だと思います。

「ストップ・メイキング・センス」と「羊たちの沈黙」

「史上最高のコンサート映画」と評価も高い、トーキング・ヘッズのライヴ映像作品が、「ストップ・メイキング・センス」。
監督は、後に「羊たちの沈黙」でアカデミー賞を受賞するジョナサン・デミ(以下、デミ)。

アートスクール出身のバーンは、常に「音楽=視覚芸術=演劇」の融合を志向していました。
単なる音楽パフォーマンスではなく、「コンセプチュアルな舞台」の構築。
そうした野心に応えられる映像作家を探していた中で、映画という枠にとらわれずに人間性とパフォーマンスの境界を溶かすことができるデミの感性が、ぴったりと嵌まったんだよね。
デミは、ニューオーダーやニール・ヤングの映画も監督するほどにロック好きだし。

この映画でデミが描き出したのは、「一人の奇妙な男(バーン)が、身体の不安とぎこちなさを受け入れながら、徐々に集団と音楽の一体感に到達していく」という、人間のアイデンティティと社会的関係の物語。
バーンとデミが互いに共鳴したのは、「他者の奇妙さをそのまま肯定し、祝福する」っていう哲学だったんじゃないかと。
異質な存在を、矯正しようとはしない。
それどころか、そのズレこそが人間らしさの核心だって信じてた。

「羊たちの沈黙」も、表面的にはサイコスリラーだけど。
本質的には、異常とされる人々の中にある複雑な人間性を描いた作品だと思っていて。
レクター博士の知性、クラリスの脆さと誠実さ。
ブロークンな登場人物たちを決して嘲笑せずに、むしろ静かな眼差しで見つめているところが、バーンと重なる部分だと思う。
ニューヨークの先輩、ルー・リードもそうだったし。

※ヴェルヴェット・アンダーグラウンドについては、こちら

「人間の奇妙さ」に心を奪われた、バーンとデミ。
2人のコラボレーションや作品群は、ポップカルチャーの中に「普通ではない人間の美しさ」を持ち込んで、それが観客の心を奪いました。
デミが亡くなった2017年、バーンは「彼は常に他者に寛容で、偏見がなかった」と語っています。

どちらも必見の名作なので、是非観賞してみてください。

最後に

ロンドンとニューヨーク、それぞれのパンク

ロンドン・パンクの旗手、セックス・ピストルズといえば。
攻撃的で、挑発的なボーカル。
対してトーキング・ヘッズは、不安定で内向的。

歌詞は、体制への怒りと破壊。
対して、社会的違和感と人間観察。

サウンドは、ラフで直情的。
対して、ミニマルで緻密。

リズムは、直線的でマッハ50。
対して、ファンク由来で変則的。

こうして聴き比べると、面白いよね。

カオスと暴力性を纏いながら、初期衝動主義の前者と。
アイロニーと構築性が先にあって、数学的なバランスで成り立つ後者。
でも、どっちも間違いなくパンク。

ピストルズが「現実をぶち壊す為の爆弾」だったとすれば、トーキング・ヘッズは「現実を観察する為の顕微鏡」だった。

1970年代の腐敗した社会に対する異議申し立てであって、パンクの精神を体現していることに変わりはない。
ただ、その方法が真逆だっただけなんだよね。
ひとつは怒りによって、もうひとつは知性によって。

この違いは、今日におけるパンクの定義そのものに、広がりを与えています。
即効性を求めて、とにかく速く、短く、粗暴な爆発のまま叫びまくったロンドン。
冷笑し、ずらし、解体し、構築し直すアプローチを生み出した、トーキング・ヘッズ。
バーンは、怒鳴らない。
マイクに、噛み付かない。
代わりに、視線をそらしながら皮肉を吐く。
その知的距離感が、逆に不安と緊張を高めていく。
「怒る」のではなくて、「観察する」姿勢が本質であり、それがニューヨーク・パンクのアート的側面と深く結びついたのでした。

※セックス・ピストルズについては、こちらもどうぞ

今回も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
それではまた、次の名盤・名曲で。

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